札幌本部 2024.04.11 自然と人々が支える地域と食 <中> ********** 道南への玄関3町リポート 黒松内・寿都・蘭越 ********** 所変わり、日本海を臨む漁業の町、寿都町。古くはニシン漁で栄え、現在は人口2700人ほどの小さな港町だ。町のシンボルともなっている道の駅「みなとま〜れ寿都」にて、水産加工業に従事する傍ら、町議会議員としても活躍しておられる大串伸吾さんに町のあれこれ、大串さん自身の経歴と思いについて貴重なお話を頂いた。 【寿都漁港に臨む道の駅から見た、冬の漁船群】 「人生何があるかわからない」。大串さんと寿都町の出会いは、北海道大学でサクラマスの保全と利用について研究を行っていた博士時代にさかのぼる。調査の中で、当時の寿都産サクラマスは、一部の漁業者のハンドリングの悪さから、市場評価が低かったことが分かった。そして当時の寿都町では、多くの魚種で漁獲量が減少し、漁業者たちも付加価値を向上させるために意識が変わりつつあったころだった。大串さんは研究成果の発表会を開き、サクラマスの品質改善に活〆(かつじめ)という血抜き方法を提案し、これに共感した漁業者とともに1年にわたって現場指導と市場評価のフィードバックを続けた。 その結果、産地仲買からも評価がなされ、市場価格も上昇し始めると、ほかの漁業者も活〆に取り組むようになったのだ。これを目の当たりにした役場が、水産関係者全体を含めた勉強会を開き、大串さんを講師として招くようになり、いつしか「ぜひ寿都の役場に就職してほしい」と町長らからスカウトされるように。大串さん自身も本州での就職の予定があったようだが、まだまだやり残したことを想い、「町の魅力に魅せられた一人として、自分の30代の人生をこの町に賭けてみようと思った」と、寿都役場への就職を決めたそうだ。 【町の魅力を語ってくださった大串さん】 全国的に漁業生産高の減少が問題となっている中、寿都町漁協では、年ごとの変動はあるものの、1990年代以降の漁獲金額が横ばいとなっている。この町の漁業関係者による、経営規模拡大や六次産業化などの独自の工夫によって支えられて今日の町の漁業がある。 大串さんには寿都の特産品をいくつか紹介してもらった。約100年の歴史がある「生炊きしらす佃煮」。小女子(コウナゴ)の敷網漁も盛んに行われており、近年では「生シラス丼」も新たな町のグルメとして人気だ。他にも「寿(ことぶき)かき」という夏場限定のかきが挙げられる。カキと言うと北海道では厚岸町が有名だが、大串さんによると濃厚な味わいの冬の厚岸のカキに比べて、夏の寿都のものはさっぱりとした後味が特徴で、何個でも食べられるという。 さらに、大串さんが北大院生時代に研究対象としていたサクラマスについてはその興味深い生態の一部を教えていただいた。ほとんどのメスと一部のオスはまだ若いヤマメの時に、川での縄張り競争に破れ川を下る。勝ち残ったオスのみが川に残り、一年もすると、大きく育ったメスがサクラマスとなって帰ってくる。面白いことに、かつて負かしたオスも逞しく、巨大に成長して戻ってくる。まさに下剋上。こうして最終的にはみんな一緒になって産卵へ向かっていくのだとか。”生き残るためにみんな必要”なのだ。 【道の駅2階の物販コーナーには常時たくさんの海産物が並ぶ】 町議会議員として日々、町のあり方に向き合っている大串さんに、仕事のやりがいについても語ってもらった。将来の町のビジョンを提案するためには、他の地域の事例を調べて説明できる人間が必要であり、その中で、寿都で実現できそうなこと、寿都だからこそやりたいことを町に訴えたいとの強い気持ちがあるそうだ。現状、地方に人を呼び込むには、移住しかなく、移住促進のカギは関係人口の創出にあるという。町を通過する・観光するだけではなく、実際に地域のイベントや産業に参加し、地元の方と交流するくらいまで町に踏み込んできた人が、いずれ定住する可能性が高い。 大串さんも例外ではなく、研究の場として何度も足を運び、漁師の方と仲良くなっていって、あるとき祭りの神輿を担いで…段々と町のコミュニティーに巻き込まれていったのだ。関係の始まりは研究という文脈でなくてもいいと大串さんは考えている。そのために、頻繁に人が来てくれるようなコンテンツとコーディネートを充実させることがこれからの課題になり、定住人口予備軍を増やしたいと前向きな言葉を聞くことができた。 ところで、気が付いた人はいるだろうか。はじめは役場職員として寿都町に就職した大串さんが、今では町議会議員へと転職されていることに。これには今まさに美しい海と漁業の町が直面する、重く大きな議題が関わっている。 2020年の秋、町は高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」の受け入れに関する文献調査への応募に踏み切った。詳細については各報道を参照されたいが、大串さんはこの時、水産業を振興する身として、町の考えとの相違を感じたという。莫大な交付金があれば町は潤うだろうが、一種の「麻薬的なもの」だと大串さんは言う。「地域の課題の本質を見失わないことが重要であり、今こそ立ち止まり、交付金に依存しないような、持続的なまちづくりを実現したい」と強く語って下さった。 寿都町の紹介の最後に、大串さんのお話の中で最も印象に残ったワンフレーズを。「この町に、都会のような便利さはありません。けど生きるために大事なものは全部あります。ないものはやれる範囲で作りましょう。そういう島根県海士町で掲げられた"田舎"という地域でおこなうまちづくりを、寿都町でも実践していきたい」。 =続く= (「さっぽろ農学校」リポーター・佐藤春佳=国際食資源学院修士1年、写真も)