札幌本部 2022.12.14 ボリビアからの便り 退職以来、私は総合博物館資料部研究員として旧札幌農学校第二農場の管理などを担当している。過日、本学同窓会理事の久田氏とこの旧札幌農学校所蔵の歴史的資料公開に関する打ち合わせの日程調整をメールで行っていた。ただ私は、現在JICAの草の根プロジェクトでボリビアに滞在しており、帰国を見越した日程調整になる旨申し上げ、当地の写真を数葉お送りした。 すると、氏から「個人的に、ラテンアメリカにとても興味を持っております。ラマにまたがっておられるのでしょうか。フォルクローレは、街に流れているのでしょうか。」等の返信があり、次いでボリビア便りなど同窓会のHPに載せたいので、文章と写真を送られたいとのご下命であった。 地平線まで続く放牧地 私が今滞在しているのは、南米中央部ボリビア国の東部平原地帯で、サンタクルス市という大都市から北東、車で1.5〜2時間(100kmか)のオキナワという地名がついた日系人居留地である。サンタクロス市から北西に同じ距離を行った辺りにはサンファンという別の日系人居留地がある。私どもの草の根プロジェクトの対象地域が、この二つの日系人居留地である。 現地到着した夜の歓迎BBQ,牛の肩肉とチョリソー ことの起こりは2017年に当時の農学院長であった横田教授から「連休明け、空いてます?」との電話があったことだった。特に予定もないですとお答えすると、「ボリビアに行ってほしいのですが・・」とのこと。つい「良いですよ」とお答えして、急遽ボリビアに行く仕儀になってしまった。実はこの時期にJICAが行っていたボリビアの日系人社会支援事業が終了し、この事業を大学連携で北大が行ってくれないかという呼びかけに答えたものだった。その後2019年にJICAの草の根技術協力事業に北大農学部が中心となって応募し、2021年にこの計画が採択されたものの、コロナ騒ぎで2022年の7月にやっと契約締結に漕ぎ着けたものである。 宿舎がある施設セタボルの庭のあちこちで実るマンゴー、熟すのはもう少し先 プロジェクトは「日系人社会が牽引する持続的な循環型農業システム確立のための支援」という名称の事業で、土壌-圃場-畜産を有機的に結びつけ、持続的な循環型農業システムの確立を目的としている。この地はアマゾン川の源流に位置し、開拓前は鬱蒼たるジャングルであった。戦後、開拓に入った日系人達は非常な刻苦の末、ここを切り開き見事な農地を作った。切り開いて40年間は何の肥料もやらずとも何でもできる豊かな農地であったが、突然収量が落ち始める。「アマゾンの富を喰い尽くしちまったんだ」とは一世の開拓民の言葉。そこで現在、どちらの居留地も地力回復のため、輪作体系を導入し、不耕起栽培を取り入れ、さらに緑肥栽培を応用しはじめた。 緑肥用作物クロタラリアの調査 ただ、家畜排泄物を堆肥として土壌に還元するシステムが十分機能していない。そうした点から、私ども北大農学グループが耕と畜を効果的に結びつけ、よりよい土壌を作っていこうという技術支援プロジェクトをJICAの支援の下、開始したものである。 JICAの支援で作られたフィードロットと堆肥生産のための牛糞の収集 私は畜産の専門家として、また長期滞在員として、この10月1日から12月中旬までここに滞在している。プロジェクトは5カ年計画で、私は年に170日ほどこちらに滞在し、土壌や作物、畜産の専門家がそれぞれ数週間の予定で入れ替わり立ち替わり現地で調査・指導する計画になっている。プロジェクトは始まったばかりで、JICA支援で作られたフィードロットでの堆肥作りをなんとか行い、緑肥圃場への高密度ストリップグレージングをやってみようと努力する毎日である。 今は夏で乾季、日中の日向はひどく暑いが日陰は涼しい。ボリビアは高地で高山病になりやすく、政情不安で治安も悪い、と時々マスコミに報道されているが、ここ日系人居留地は平地。現在ゼネストでガソリン、ディーゼル燃料やガスの入手が困難なだけで、ごく普通に暮らしている。ほぼ全ての住人が顔見知りで、皆ファーストネームで呼び合う世界だ。私が歩いていても、皆さんに呼びかけられる。 ここボリビア・サンタクルス市外の夕日は本当に美しい 葦笛のフォルクローレを背景にリャマに乗ったりしてはいないが、写真の様な綺麗な風景の中で、毎日仕事をしては誰かが出してくれるビールをご馳走になっている。 近藤誠司 (名誉教授、畜産学科S50年卒)